今年も暑い夏がやってきました
前回、妙義神社の話をしましたが、
すぐ近くの国道18号を進むと碓氷峠を越え長野へ入ります。
その碓氷峠の名物といえば、
昔も今も『おぎのや』の峠の釜飯ですね
益子焼の容器と味付きごはんの上に並んだ具材は懐かしく、
包装紙には話題の「富岡製糸場」が描かれていました。
このブログでは食べ物の話題を極力避けていますが、
群馬県人として、一個人として、この釜飯は特別です
写真はこの釜飯誕生秘話が書かれた本で、
縁あって著者の田中トモミさんから約20年前にいただき、
僕の宝物のひとつになっています
田中さんの生い立ち、学生時代、闘病生活とともに、
昭和26年冬からお姉さまと一緒に力をあわせ、
峠の釜めしをヒットさせ、現在の基盤を作った奮闘記です。
少し読み返してみると、凛とした和服姿が思い出され、
「先生、頑張って」と声が聞こえた気がします
仕事帰り、元気に育っている水田の稲に目を向けると、
その上を涼しげに舞うトンボを見つけることがあります
自然は毎日少しずつ移り変わっています。
水中写真のようにカメラを少しあおり気味にして、
ゆりの先に止まったトンボを下から青抜きで一枚
次回はこのゆりを紹介しますね
前回、妙義神社の話をしましたが、
すぐ近くの国道18号を進むと碓氷峠を越え長野へ入ります。
その碓氷峠の名物といえば、
昔も今も『おぎのや』の峠の釜飯ですね
益子焼の容器と味付きごはんの上に並んだ具材は懐かしく、
包装紙には話題の「富岡製糸場」が描かれていました。
このブログでは食べ物の話題を極力避けていますが、
群馬県人として、一個人として、この釜飯は特別です
写真はこの釜飯誕生秘話が書かれた本で、
縁あって著者の田中トモミさんから約20年前にいただき、
僕の宝物のひとつになっています
田中さんの生い立ち、学生時代、闘病生活とともに、
昭和26年冬からお姉さまと一緒に力をあわせ、
峠の釜めしをヒットさせ、現在の基盤を作った奮闘記です。
少し読み返してみると、凛とした和服姿が思い出され、
「先生、頑張って」と声が聞こえた気がします
仕事帰り、元気に育っている水田の稲に目を向けると、
その上を涼しげに舞うトンボを見つけることがあります
自然は毎日少しずつ移り変わっています。
水中写真のようにカメラを少しあおり気味にして、
ゆりの先に止まったトンボを下から青抜きで一枚
次回はこのゆりを紹介しますね